ガースー黒光り内閣ー小林英介の私感打坐ー
只管打坐(しかんたざ)ーただ一つのことに集中すること。
政治・社会などの時事問題を取り上げ、コラムとして投稿。只管打坐の「只管」を「私感」(しかん)に置き換え、評論・コラム「私感打坐」(しかんたざ)と命名。毎週木曜日の連載。noteにも投稿。
安倍内閣総理大臣の退任に伴い、新しい自民党の総裁(党首)を決める自民党総裁選挙が本日開催されました。
多くの予想は菅内閣官房長官が大幅にリードし、総裁になるとの予想でした。投票の結果、その通りになったんだけど。
はっきり言っておもしろくない。大勢が分かりすぎていて、なんだかつまらなかった。もう少しどんでん返しとかないのかい。なかったみたいだね。
菅さんはなんだか真面目すぎて、自分と重なる部分があるな〜なんて思ってる。真面目すぎたら生きづらい。もっとユーモアのある生き方が必要。(杉村大蔵とか、いいよね。元気あって。)
政権運営はともかく、政治の姿勢は安倍総理とあんまり変わらないでしょうね。安倍総理の時代はどっちかといえば
安倍総理に関する怪しい報道
↓
野党が突っ込む
↓
安倍総理が明言を避ける
↓
野党が突っ込む
↓
安倍総理が明言を避ける
この繰り返しだったんじゃないか?
国民がこんな姿を見ていたらどう思うか。
「野党は何をやっているんだ。」
そうこうしている間に、票は離れていく。
現在の野党には申し訳ないが、頼り甲斐がなくなってしまった。自民党の方が安心して見ていられる。
私達国民は安定を求めるものだ。不安定であれば「これはおかしい」と国民が立ち上がり、暴動なり事件なりを引き起こしてしまう。
現在は生きていても不安定を感じることはない。政府はまあまあの政策をやってくれる。国民は政治に関心を持たなくなる。
国民が政治に関心を持たなくなることが良いのか悪いのか。この論点には2つの側面がある。
①国民が政治に関心を持たなくなることは良い
政治に関心を持たなくなるくらい豊かで、平和な時代なのだとの論理。
②国民が政治に関心を持たなくなることは悪い
政治に関心を持たなくなると、国民の声が国会に反映(選挙の投票率など)されないとの論理。
自分は①であり②。関心のない分野とある分野が混在している。色々な考えがあって良いと思う。
菅さんが選ばれた途端、トレンドワードで
「ガースー黒光り内閣」
という言葉が急上昇。笑ってしまった。
(「ガースー黒光り」は日本テレビ系列で年末に放送されている「ガキの使い 笑ってはいけない〜24時」と呼ばれる長〜い特番で触れられたネタ。ガースーは日テレの元プロデューサー(菅賢治)を指したとみられる言葉。)
この話題が盛り上がるのは、平和な世の中と言い表しても良いよね?