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小林英介のブログ

元フリーランスで現在は業界紙記者である小林英介が、てきとーにニュースや好きな野球について書くブログです。

終戦から75年

 

 

1945年8月14日にポツダム宣言を受諾し、8月15日に流された玉音放送

 

今年2020年はそれから75年目にあたる。

 

新型コロナウイルス感染拡大の影響で式典などの規模は小さくなると考えられるが、戦争で亡くなった全ての方々に対しての思いは変わらないであろう。

 

この記事では私が考える「戦争」について述べようと思う。

 

きっかけ

私が戦争について考えるきっかけとなったのは、祖父の影響が大きい

私の祖父は教師であった。

 

数年前に亡くなった祖父は生前、毎年遊びに行く私と沢山話してくれた。

 

あるときは古い資料を持ってきて

「あげる」

と私にくれたのだった。

 

残念ながらその資料はどこにいったかわからない。

探せば出てくるだろうか。

 

(探してみたところ、出てきた。以下の写真である。)

f:id:chimatabaseball:20200815005038j:image

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戦争というのは大変恐ろしい。

なぜ人間が同じ人間を殺さなければならないのか。

歴史を習いたてであった小学生時代の私の頭の中はその考えでいっぱいだった。

 

 

中学・高校になると、教える内容も専門的になる。

色々な思いを巡らせながら勉強したことを反芻

 

「本当に?」

「違うんじゃないか」

 

と疑問を常に持ちながら勉学に励んだ。

 

 

私は図書館に行くことが小さい頃から好きである。

戦争の恐怖を実際に教わったことはないが、書籍から、新聞の縮刷版から教わった

 

確か読んだのは朝日、読売など....

新聞社ごとに傾向が異なるため、できるだけ多くの新聞を読んだ。懐かしいな。

 

このような行動や考えは、現在にも通じているのだろう。文章を書くことが好きになったのもこの影響が大きい。

 

 

はだしのゲン

日本の戦争を語る上で、忘れてはならないもの。

それは原子爆弾である。

よく「原爆」と略される原子爆弾は、1945年の8月6日(広島)、9日(長崎)に投下された。

 

私は死ぬまでに両県に行き、祈りを捧げたいと考えているが、いつになるだろうか

 

さて、この原爆を扱った作品の中に

はだしのゲン

という作品がある。

 

はだしのゲンは漫画であり、作者の被爆体験が基になっている。(ドラマとか映画にもなっていたはず。詳しく知りたい方は調べてみてください。)

 

私は小学生のとき、この漫画に出会った。

当時は何の意味もなく、隣にあった漫画「地獄先生ぬーべー」をかき分けながら奥にあるはだしのゲンを手に取った。

 

はっきり申し上げれば、はだしのゲンを読んだ後の私の感情は揺れまくっていた。

 

子供は素直である。

私はきっと「気持ち悪い」と思っていたに違いない。ただし、この「気持ち悪い」という感情は大切なのである。

 

 

今から7年前のことである。

とある日本国内の図書館で「はだしのゲン」に閲覧制限がかかっていたことが判明した。(後に撤回されたようであるが)

 

「トラウマになる」

「ただの印象操作はやめろ」

 

果たして「はだしのゲン」を自由に閲覧できるようにしておくことが正しいのか。議論が巻き起こった。

 

この問題について、沢山の意見があることは承知している。

 

その上で、私の私見を述べようと思う。

 

私見

「トラウマになる方がいい」

私の考えはこの一文に凝縮されている。

 

話が逸れるが、私は基本的に沢山の経験を積ませたいと考える人間である。

例えば、私が子供をもった場合、沢山の経験をさせるであろう。

 

その一つに「と殺」がある。

 

私達は「命」をいただいている。

その命がなくなり、私達が食べている「食べ物」になる瞬間を見ることができる。

 

親の多くは

「そんなもの見せられない」

と言うであろう。

 

なぜそこまで怖がるのか。

ちょっと理解できないのである。

 

トラウマ

話をもとに戻そう。

 

はだしのゲンにおける「トラウマ」とは、なんなのだろうか。いや、はだしのゲンを読んだことがない方にとっては、わかりづらいことかもしれない。

 

では、こうしよう。

 

「原爆」で被害を受けた広島・長崎で

横たわる亡骸。

体が焼きただれた人。

丸焦げの亡骸。

 

直接的な表現は避けたが、いかがか。

もしかしたら、写真で見たことがある人もいるかもしれない。

 

 

 

私は戦争の本を読むにあたって、沢山の写真を見てきた。(写真の見すぎで感覚がマヒしている可能性も考えられる)

 

私が初めてこれらの写真を見たとき、それは衝撃だった。トラウマとはこのようなことをあらわすのかと、後になってから色々考えたものだ。

 

グロテスクな写真を見ることは、もちろん避けたい。グロテスクな事故、ショッキングな事件の現場に居合わせたくないのは当たり前である。

 

 

戦争の風化はあるのか

以前、どこかのテレビ局が若者にインタビューをしていた。

 

「8月15日は何の日?」

 

8月15日はいわゆる「終戦の日」である。

若者は答えることができず、私は驚いた。

 

恥ずかしい。なんと恥ずかしい。

日本人であるならば、知っておかなければならない知識である。(私の認識)

 

 

大学時代の後輩にも聞いてみた。

半数が分からないと答えた。驚きと共に悲しみも出てきた。しかしながら、悲しんでいる場合ではない。

 

教えることも大切だと私は考えたのである。

 

 

 

これから戦争教育はどうすべきか

戦争や過去の事件を

 

「実はこんなことがあったんだよ」

「これは実際、なかったんだ」

 

と書く、言うのは自由である。

(私にもそんな点があるのかもしれない)

特に現代の日本ではSNSが発達し、情報がものすごい勢いで伝わっていく。

 

この特徴を生かして何かできないものだろうか。

 

こう考えて数年.....難しいところである。

 

さいごに 

この記事をどのように終わらせれば良いか考えながら書いてきた。

 

書きたいことがあふれてきた。大変だった。

 

色々な感情が私を襲い、書いている途中で混乱した。こんなのはじめてである。

 

 

 

さて、本日迎えた75回目の終戦の日

亡くなった祖父は、現在の日本に対してどのような感情を抱いているだろうか。

 

私は今の日本を見せたくはない。それは、恥ずかしいからである。

 

 

祖父が生きていた時代よりは、はるかに日本人という自覚の下落が顕著に現れているだろう。

 

とはいえ、日本は完全なる死を迎えた訳ではない。まだ生き返る好機はある。

 

その好機を見つけ、土壌をつくり、花を開花させる。  

 

現代を生きる私たちは、小さなことから日本をなんとか持ちこたえさせる力を持っているはずだ。

 

「祖父よ。日本はまだ終っちゃいないぜ」

 

こう言える日が早く来ることを、一国民として願っている。

 

ー終ー